障害を克服できる心理

以下は拙著『暗示型戦略』のなかの、「ビクターの試作機開発のプロセス」の一部です。全体像が見えないので、少々おわかりにくいかとも思いますが、まあ我慢して読んでください。

このケースにおいて、高野鎮雄氏が立案した戦略は希望追求型の課題と障害克服型の課題が実にバランスよく設定されておりました。

先日も取り上げたように、日本ビクターのVHSホームビデオの開発チームは、たいへん苦労をして、商品開発を続けておりました。時間との競争でした。ソニーが先に進んでおりますので、早く追い抜かなければならなかったのです。
 
ビクターでは、第一次試作機を昭和47年末につくって以来、第二次試作機、第三次試作機と進み、昭和50年8月、ようやく第四次試作機(最終試作機)をつくりました。
 
第一次試作機は、画質は悪いし、録画は1時間ともちませんでした。第三次試作機の段階でも、この問題はクリアできませんでした。昭和49年12月ころです。ソニーはこのころ、ベータマックスの試作機をすでに公表しておりました。

ソニーの試作機は、ビクターの第三次試作機に比べ、画質は鮮明でしたし、録画時間も1時間をクリアし、しかもカセットのサイズがビクターより一回り小さかったのです。
 
状況はとても明るいとは言えなかった。さすがの高野事業部長もかなりショックだったようです。しかし、日本ビクターの開発陣はこういう状況でも、かえってやる気をだしていたのです。徹夜の連続もいとわず、ついに第四次試作機を完成させたのです。
 
なぜ、彼らが障害克服型の課題に挫折せず、ファイトを維持できたのか。ある技術者はこう言っております。
 
「まだ自分たちの方が勝っているところがありましたから。ソニーにはずっと負けていましたから、ソニーを追い抜きたい。それしかなかったですね」

ビクターの開発陣は、ふつうなら挫折してしまいそうになるのに、なぜそれができたか。

もし、第一次試作機の段階で、ソニーの試作機が公表されていたら、多分その時点で“The End”だったでしょうね。

高野事業部長のサポートや、技術者としての意地とか、いろいろな要因があるとは思いますが、やはりソニーの機械よりも優れているところがあったという事実――これが開発陣の心の支えになっていたと思いますね。まだ勝ち目があるのだ、という希望ですね。
 
苦しい中で、ここを通り抜ければ、ものすごく未来は明るい、その未来に賭けよう――彼らはそう思っていたのではないでしょうか。

もちろん、彼らにとって、ほかに賭けるものはなく、背水の陣であったことは間違いないでしょう。
 
こうやって、必死に頑張って、ついに第四次試作機(最終版)ができたのが、昭和50年8月です。すでに、ソニーがベータを市場に投入してから3ヶ月がたっていました。しかし、これなら、まだ間に合う。
 
先日も取り上げましたが、9月3日に、高野はビクターに松下幸之助を招き、最終試作機を見せたわけです。

高野や開発陣は、VHSの将来を占うようなつもりで、幸之助の反応を息をひそめるように見ていたのでしょうね。
 
ここで、幸之助から絶賛を得たので、いよいよ市場にゴーということになりました。幸之助の支持は非常に大きかった。特に、他メーカーをVHS陣営に誘うときには、心の支えとなったはずです。

しかし、ソニーだって、むざむざ引き下がるわけにはいかない。まだまだ厳しい競争が待っていました。

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