ほめる技術

今日は拙著『伝動戦略』から、私の体験事例をもってきましょう。

ある地方自治体で経営問題の研究会が設けられ、その委員として私にお誘いがかかったときのことです。

この研究会の委員のなかに、妙に服装にこだわっている学者先生がおりました。ある日などは、ジャケットから靴下まで完璧に茶系統に統一してきた。もっともご当人の意図とは違って、ちょっとやり過ぎという感が私には強かったのです。

会議が終った後、エレベーターでこの先生と一緒になって、私はつい話しかけてしまいました。

「先生、今日はベージュで統一されていますね」

ほめようとか、気に入られようとかいう気持ちはまったくなかったのですが、沈黙の苦痛から、つい言葉が出ちゃったのです。

すると、この先生は大きくうなずいた。ようやく自分の高尚な趣味を理解できる人間を見つけたかのように。

これ以来、私はこの先生からすっかり気に入られてしまいました。ただ、副作用が一つあって、会うたびに服装をほめるように暗に催促するのです。

このときから、私はほめるということは、いったいどういうことなんだろうと興味をもちました。

私は「ベージュで統一している」とは言っても、「いい洋服ですね」とか「よくお似合いですね」などとは全然言っていない。本音はあまりセンスがないなと思っているくらいなのです。ただ、色を統一していると思ったのは事実です。

それなのに、先生は勝手にほめられていると思っている。おもしろいですねえ、人間の心理というのは。

この点についてカリエールという人が『外交談判法』という本の中でこう述べています。ちなみにカリエールは、17世紀後半、フランスのルイ14世の下で外交交渉家としてならした人物です。

「君主に向かって彼らの富を誉めたり、彼らの館、家具、着物等々、彼らの値打ちとは関係のない空しいものを誉めるような暇潰しは、ほんのちょっとふれる位は別として、やらないことが望ましい。彼らにとって本質的な、称賛に値する事柄こそ、誉めるべきである。たとえば、彼らが、偉大で、勇気があり、公正で、控えめで、寛大で、鷹揚で、親切で、柔和であることを具体的に示したならば、それを誉めるべきである。また、総じて彼らの本当に勇気ある行為であるとか、彼らの才能、頭のよさ、思慮分別、実務をさばく能力、大きなことに取り組む根気とかを誉めるべきである」

簡単にいうと、能力を誉めろということですね。そういうことで、私は先生の「着こなしの能力」を誉めたらしいのです。

しかも、私は「着こなしの能力がずばらしい」とも言っていない。しいていえば「着こなしている」事実を指摘しただけです。

ところが、鏡に向かって必死であれこれやってきたであろう先生にとっては、その事実(色が統一している)を指摘されただけで、自分の努力が認められたと思ってしまうわけです。

これはまあ私の得意とする暗示効果でもありますね。事実を提示したことで、相手に勝手に「自分の能力が、努力が評価されたのだ」というイメージがわいてしまう
のです。

考えてみれば、この事例が拙著『リーダーの暗示学』へと展開していくともいえます。

ところで、おもしろいことに、カリエールは、「王妃や王女、あるいは貴婦人には、身体の外見の魅力を称賛するのがよい」としています。

ほかに誉める点があったとしても、それよりは「この方が一層彼女らの気持ちを動かす」と言うのです。

なお、この見解が現代女性に当てはまるか否かに関して、私はコメントするつもりが一切ないことをお断りしておきます。

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