欠点を指摘する指導法に合う人・合わない人2

 部下をほめない指導者は大勢いる。部下に自分の権力を見せつけようとするリーダーも同様だが、要するに彼らは部下と競争しているのであり、リーダーとしての立場を保つことができていないのである。

そういう行動は自分に実力がないことを自覚しているための気ばりであって、ここでは論外である。

 ではなぜ野村さんは選手をほめなかったのだろう。彼はその理由についてこんなふうに述べている。

①ヘタにほめると、「なんで、この程度のことでほめるの?」と、思われかねない

②「ナイスプレー」や「ナイスバッティング」は、誰が見ても同じことだから、ほめたことにはならない

③相手の考え方や意見をほめるのは、なかなかできない

④むしろ、欠点を指摘する方が簡単である

 このように感じるのは、実は野村さん自身の行動基準(感受性と呼ぶこともある)のためである。要するに、彼自身がほめられるよりけなされる方が好きだし、力が出るからなのだ。

 叱られたりけなされたりした方が力が出る人がいると聞いて、びっくりする人がいるかもしれない。しかし、世の中には、そういう人が本当に存在する。

 野村さんや江夏投手のように、人にけなされることを好む人は、達成意欲がものすごく強い人であり、それをテコにして上昇しようとするタイプなのだ。彼らはときにハングリーであり、たいへんな負けず嫌いであり、かつ自信家でもある。

 こういう人は常に完璧を目指しているから、自分の欠陥を見つけるとかえって喜んで、それを進歩の糧にしようという気になる。それが「むしろ、欠点を指摘する方が簡単」という発言につながってくるのである。

 しかし、世の中には、お世辞でも「ナイスプレー」とか「ナイスバッティング」とほめられるとのってきて、やる気を出す人もいるのである。

 そういう人を見ると、野村さんは、ばかじゃないかと思うのではないだろうか。技術の裏づけなどない、ただ調子がよいだけのアドバイスが、彼には軽薄に見えて仕方ないのである。そして、そういうのに一喜一憂する人間を、プロとして情けないと考え、「子供だまし」だと思うのだ。

 しかし、そこのところはどうだろうか。私は必ずしも「子供」とは思わない。そういう行動基準や感受性をもつ人がいるのは事実なのである。だから指導者としてそれを否定するのは自殺行為だ。

 私は、相手の感受性や行動基準に合わせて指導法を変えることができない指導者こそ「子供」だと思う。相手の感受性に合わせられないのは、自分の感受性が最もよいものだという思い込みか、他の感受性があることを知らないかのどちらかである。

新刊『リーダーの人間行動学――人間を見る力を鍛える』(鳥影社)より引用

                    • -

人間分析の方法論が示されています。体癖論の感受性理論をベースに、歴史上の人間(探険家スコット、乃木希典大村益次郎ショパンとサンド、空海最澄)の行動分析を通じて、感受性の解説を行っております。営業折衝や対人折衝にとても役立ちます現在、アマゾンなどのネット書店、紀伊國屋ジュンク堂などの大手書店で販売中。

L研リーダースクールでは立読みを準備しました。こちらから